幕末の京都A

島原大門〜光縁寺

この区間も新選組中心です。
島原も壬生も当時は京都のはずれというよりも田園地帯の中。
壬生浪士組(新選組)の登場で京の治安が回復したが、
芹沢鴨らの乱暴狼藉などにより、逆に、
京雀から壬生狼(みぶろ)と蔑まされていました。
芹沢鴨は八木邸で土方歳三らに粛清されます。

島原大門→輪違屋→角屋→壬生寺→新徳禅寺→八木邸→前川邸→光縁寺



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島原 大門です
京都の花街ですね♪
遊郭じゃないそうです
正式名は西新屋敷だそうです
輪違屋 置屋です
現役です 大夫をかかえていますよ
京都市の解説もありました
角屋(すみや)こちらは揚屋です
今はおもてなし館として
公開されています
久坂玄瑞、西郷隆盛、坂本龍馬
など維新の志士や
新選組も通っていました
東鴻臚館 平安時代ですね 島原西門跡 丹波口です
少し東に行って
島原 歌舞練場跡です
幕末ではなく明治ですね
壬生寺です
新選組 壬生狼の由来です
向かいに新徳禅寺
清河八郎が演説をしました
浪士組(将軍警護)⇒尊王攘夷
新選組屯所 八木邸
ここが浪士組(新選組)のスタート
現在公開されています
こちらも新選組屯所 前川邸
現在非公開です
光縁寺
新選組の隊士の墓があります

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